『江夏の21球』で一躍その名が世に広まった山際淳司。それまでのスポーツジャーナリズムを一変させた草分け的存在で、未だに多くの愛読者がいます。
1995年に胃がんにより惜しまれてこの世を去りました。長生きしていればどんな傑作を更に生みだしていたのかと思うと、スポーツジャーナリズム界にとっての損失は計り知れません。
主に野球を題材とした作品を多く送り出した山際淳司ですが、本書は山に散っていった登山家たちを取り上げた作品です。
書籍情報
【書籍名】『山男たちの死に方 遭難ドキュメント 雪煙の彼方に何があるか』
※親交のあった登山家の長谷川恒夫が登山中に亡くなったことにより、再販にあたって『みんな山が大好きだった』に改題。
【著者名】山際淳司
【出版社】K.Kベストセラーズ
著者について
1948年神奈川県生まれ。山際淳司はペンネームで本名の犬塚進名義で人物ルポなども執筆。
1980年に「Number」創刊号に日本シリーズ広島東洋カープ対近鉄バファローズ戦のドキュメント『江夏の21球』を掲載。のちに『スローカーブを、もう一球』に収録されました。
NHKの「サンデースポーツ」のキャスターを務めましたが、翌年に胃がんで他界。享年46。
アサヒスーパードライのCMにも出演していました。
山男たちの死に方は生き方でもある
本書に取り上げられた主なクライマーはみな山で散っていきました。ざっと名前を上げると加藤保男、森田勝、ロジェ・デュプラ、ヘルマン・ブール、ゲオルク・ウィンクラー、モーリス・ウィルソン、二コラ・ジャジェール、加藤文太郎、松濤明。
本書ではそれぞれのアルピニストがどのような態度で山に向き合ってきたかをなぞることによって、彼らを動かしてきたものに思いを巡らせています。
84年に本書が発行されたときには存命だった長谷川恒夫も、91年にウルタルⅡ峰で雪崩に巻き込まれ命を落としています。
その際、著者の山際淳司はショックを受け、本書の再販にあたりタイトルを『みんな山が好きだった』に改めました。
登山は危険と隣り合わせのスポーツであり、一流のアルピニストでさえ登山中の事故により命を落とすことは珍しくありません。これほど人が亡くなるスポーツは他には皆無といえます。
当然その安全性や危険に対する認識については現在も様々な意見が論じられ、はっきりとした結論は定まっているとは言えません。
男にとって“幸福な死”と“不幸な死”が“あるとすれば、山における死はあきらかに前者に属するのではないかと思う。
まえがきより抜粋
著者はアルピニストではありませんが、登山における死に対する捉え方はまえがきにあるとおりです。登山中の事故に対しては自己責任論をはじめ批判的な意見が絶えませんが、著者はそれらの死を決して否定せず、むしろ共感さえ示しています。
もちろんアルピニストは自ら望んで死を選ぶわけでは決してありません。それどころか登山が危険に満ちている行為であることを知っているからこそ、人並外れた技術と体力を持ち、入念な準備をして山に挑むのです。
そして死がすぐそばにあるような危険な山に足を踏み入れることこそ、アルピニストの生き方といえます。
本書の終わりのほうで著者はある告白をしています。
(中略)山で死んだ人間には二つのタイプあるということだ。そこで死ぬことを想像だにしていなかった人間とあらかじめ予期して、にもかかわらずそこに足を踏み入れた人間である。
ぼくは、後者のタイプの人間に対して、正直いって、マイッタなと思ってしまう。本書232ページより抜粋
まさにこの感情を抱きつつ著者はこの本を執筆したのでしょう。
登山を知らなくても興味深く読めます
本書は特に登山についての知識がなくても面白く読み進めることができます。
山際淳司の文体はシンプルでわかりやすく、汗臭さや泥臭さを感じさせない都会的なスマートさを持っているのが特徴です。
それまでのスポーツジャーナリズムが根性論で語られることが多かったのですが、それらとは一線を画しています。
山際淳司が注目するのはその人物から垣間見える人間臭いところであり、取材を重ねて事実を積み上げていく手法は、淡々と綴られた文体と相まって読み手にせまってきます。