『野村監督に教わったこと 部下は上司で生き変わる』山﨑武司著

野村監督に教わったこと

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ガキ大将のイメージそのままのようなキャラクターの山﨑武司選手ですが、東北楽天ゴールデンイーグルスで野村監督と出会い薫陶を受けました。その結果選手生活の晩年に差し掛かったシーズンで二冠を達成することができました。

本書はまだ選手時代の山﨑さんが野村監督の下で選手生活を送ったことで、生まれ変わることができたことへの感謝の念を綴っています。また野村監督とともに恩を感じている人物として田尾監督にも触れられています。

反対にソリの合わなかった二人の監督についても取り上げられています。

・野村監督と田尾監督への感謝
・確執のあった中日時代とオリックス時代の二人の監督について

書籍情報

【著書名】『野村監督に教わったこと 部下は上司で生き変わる』

単行本のタイトル『野村監督に教わったこと 僕が38歳で二冠王になれた秘密』から文庫化にあたり改題。

【著者名】山﨑武司

【出版社】講談社+α文庫

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著者について

著者の山﨑武司さんは言わずと知れた元プロ野球選手。中日、オリックス、楽天と現役生活27年。ホームラン王2回、打点王1回の通算403本塁打の強打者でした。

現役生活の前半を中日ドラゴンズで過ごし、オリックスへトレードされた後楽天へ移籍し田尾監督の後に就任した野村監督に出会います。野村監督の下、38歳にしてホームランと打点の2冠王を達成。最後はプロ入りした球団である中日で現役を終えています。

野村監督への感謝の本

本書は楽天で野村監督に出会ったことによって、いわゆるベテランといわれる年齢になってからも野球自体に対する考え方を学べたことを感謝する筆者の思いが伝わってきます。

僕は、
「人生はサイコロみたいなもの」
と思っています。
35ページより引用

サイコロを振ってもどの目が出るかはわからない、相性の良い人と巡り会うか自分と合わない人と一緒になるかは自分で選ぶことはできないといった人生観を持つ著者にとって、野村監督はそれまでの野球に対する取り組み方を根本的に変えてくれた人でした。

山﨑選手と比べても遜色ないアクの強さを持つ野村監督でしたが、二人の相性は抜群だったようです。

理論的な野球の野村監督と感覚的で気持ちでプレーする山﨑選手です。傍から見たらウマが合うわけないと思われがちな二人ですが、当の山﨑さんも最初は野村監督に対して良い印象はなかったそうです。

ですがお互いにコミュニケーションを取っていくうちに上手くやっていけるようになったとのこと。山﨑選手は野村監督がどんなことを考えているのかを窺うことによって、監督の言うことを素直に聞けるようになったそうです。

下手したら水と油の関係になってもおかしくないと勘ぐってしまいそうですが、この二人が結果的に反発せずに、しかも山﨑選手の実績を選手生活後半になってから上積みさせるようなものになったことは読者としても興味深い点です。

野村監督は、これまで出会った監督とは全然違いました。
特に、選手に対して人間教育、「人間としてどうすべきか、どうあるべきか」を説いてくれるところがすばらしい点です。それまで「どうすれば優勝を狙えるような強い組織にできるか」を教えてくれる監督はいましたが、人間教育をする監督なんていなかったからです。
86ページより引用

野村監督の野球観もさることながら、人間教育に重きを置く点に山﨑選手は感銘を受けたようです。更に常に選手の気持ちを考える姿勢に器の大きさを感じたとのことです。

もし若い頃に野村監督と出会っていたらおそらく衝突していたと、筆者自身が認めています。歳を重ねて山﨑選手にも他人の話を聞き入れる度量が備わってきた時期に野村監督の下で選手生活を送ったことが良かったようです。

楽天に入団してからホームランと打点の二冠王に輝いて、選手生活後半に文字通りもう一花咲かせることができた山﨑選手ですが、田尾監督から指導を受けて打撃改造に取り組んだことも吉と出たそうです。

野村監督と田尾監督に出会ったことは山﨑選手の野球人生において大きな転機となりました。

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二人の監督との確執

中日時代に星野仙一監督が退任し、後任にヘッドコーチだった山田久志さんが新監督に就任しました。

山田監督はヘッドコーチ時代は山﨑選手とコミュニケーションも取れていたのですが、監督になり責任を一身に負う立場となって人が変わったと感じたようです。

ある試合では、

「(山﨑を)使った俺が悪いけど、チームの和を乱したやつがいる(お通夜みたいだ。チームを奈落の底に落としてしまう選手がいる)」と、すごいセリフを口にしたのだそうです。
146ページより引用

と山﨑選手にとって「もう山田監督と一緒に野球をやることはない」と思わせる決定的な出来事もありました。

FA宣言をしていた山﨑選手に「一緒にやってくれないか」と山田監督から言葉を掛けられ、一肌脱ぐつもりでいたところ度重なる心無い仕打ちに中日を出る決意をしました。

阪急ブレーブスのエースピッチャーで通算284勝を挙げた山田監督を尊敬もしていたし、子どもの頃はファンでもあった山﨑選手にとってショックなことでした。

トレードで中日からオリックスに移籍して2年目、伊原春樹監督が就任します。この時は伊原さんとは合うわけはないと直感したそうです。そしてその直感は見事に当たりました。

ナゴヤドームで西武ライオンズとの試合があり、名古屋が地元である山﨑選手は球場に知り合いを多数呼んでいました。前日の試合でも2安打しており、スタメンを直訴してのですがゲームには出られませんでした。

伊原監督に何故出られないのか問いただしましたが、要領の得た答えは返ってきません。埒が明かないのでゼネラルマネージャーに訴えたところ、伊原監督との関係は悪化しました。

二軍行きを命じられたときも売り言葉に買い言葉といったやり取りから最悪ともいえる展開になります。

人生の中でいちばんキレたと言っていい瞬間でした。
「それは(監督というチームの)リーダーが言う言葉か?(中略)俺は今年で辞める。2~3人引き連れて、アンタと一緒に自爆してやる。監督業を辞めさせてやる」
とまで言ってしまいました。
159ページより引用

その後もオリックスが近鉄と合併する直前の最後のゲームになり、伊原監督から「最後だから、一緒にやろう」と電話が掛かってきたときも拒絶しています。

ですが伊原監督はユニフォームを脱いだところでは人情味もあったそうで、全否定にまでは至っていません。

この本が出た時点では伊原監督とは多少会話もできるところまでになったそうですが、山田監督とは一切口をきいていないとのことです。

まとめ

下世話ながら読者として興味をそそられるのは、確執のあった山田監督と伊原監督との部分かもしれません。

ですが全篇を通して読んでみると、山﨑選手がどのような人間かが浮かび上がってきます。ヤンチャで子供っぽい性格は本書の至るところで本人も認めているところです。時には問題児のように思われがちですが、上の人間に対して媚びず正直で気持ちを大切にするタイプです。

野村監督が重要視していた情に基づく人間教育は、義理と人情を重んじる山﨑選手にとって心に響くものがあったようです。

本書は「勝ったら監督の手柄、負けたら選手のせい」と時に言われる野村監督の評判を覆す野村評でもあります。

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