江戸時代のヒーローの一人である遠山の金さん。いままでに中村梅之助をはじめ、橋幸夫、杉良太郎、高橋英樹、松平健などが金さんを演じました。すごい顔ぶれですね。
そんな金さんですが、テレビ画面では実際にはなかったことが演出として当たり前のように描かれています。今回はそんなポイントをいくつかご紹介します。
遠山の金さんの経歴
金さんは本名は遠山左衛門尉景元。幼名は通之進、通称は金四郎といいました。金四郎だから金さんですね。
キャリアとしては12代将軍家慶のお世話をする小納戸役からはじまり小普請奉行、小普請奉行、作事奉行、勘定奉行と出世を続け47歳の時に北町奉行に就任します。耀甲斐こと鳥居耀蔵との対立もあり一度失脚しますが、後に南町奉行として返り咲きます。南北両奉行を勤めたのは金さんのみだそうです。
江戸の町奉行といえば三権分立が確立していないこの時代では、行政権、司法権、立法権を掌握していました。今でいうと都知事と警視総監と東京地裁判事を兼ねるようなイメージです。
因みに北町奉行所は現在の東京駅の八重洲北口付近、南町奉行所は有楽町マリオンのあたりに置かれていました。
実際の遠山の金さん
映画やドラマですっかりお馴染みの遠山の金さんですが、時代考証の点から見ると実際にはありえないことがいくつもあります。
桜吹雪の彫り物はしていなかった
金さんといえば背中の桜吹雪が代名詞ですが、実際の絵柄は右腕に絵巻物を口にくわえて髪を振り乱した女性の生首だったそうです。もっともこれには諸説あり桜の花びら1枚だけとか、彫り物をしていたのは左腕または背中ともいわれています。
刺青を入れたのは20代に放蕩していた頃のようですが、金さんはそのことを後悔していたようで、奉行になってからは彫り物が見えてしまうことを気にして、着物の袖がめくりあがるとすぐに下ろすクセがあったようです。
ドラマでは片肌を脱いで悪人たちに桜吹雪の彫り物を見せるのがお決まりのクライマックスシーンですが、実際にはそのような場面はなかったようです。
他にもドラマでは現実にはないはずのことが描かれています。
金さんはお白洲では長袴を穿いていなかった
お白洲では金さんはいつもずるずると長い袴を引きずって登場しますが、金さんに限らず奉行はそのような場では長袴を穿くことはありませんでした。ドラマでは見得を切る際に絵になるからという理由で長袴を穿いていると思われます。
長袴は格式の高い服装とされ、江戸城での式典などの際に着用するものでした。長袴は引きずるため動きにくく、これを着用することは争いごとはいたしませんという意味合いがありました。なので殿中ではないお白洲で長袴を穿く理由はありません。実際には平袴を着用していたそうです。
白洲に降りる階段もなかった
金さんが片肌脱いで見得を切る際に、片足を踏み出す階段もありませんでした。あの階段は歌舞伎の舞台演出のための小道具ですが、ポーズを決めやすいという理由で使われたと思われます。
奉行は始めからお白洲にいた
ドラマでは悪人がお白洲に座らされているところへ金さんが登場しますが、実際には逆で奉行がいるところへ罪人が連れて来られていました。
江戸時代の町奉行は多忙で1日にこなした裁きはだいたい20~40件ほどと言われており、裁きの度にいちいい引っ込んでは罪人の前に登場しているわけではなかったようです。
奉行所には看板は掲げられていなかった
江戸時代には奉行所だけではなく、大名屋敷や役所関係の建物には看板などの表札はありませんでした。なのでその場所をよく知らない人が行く場合は近隣の住民や辻番に尋ねながら訪れたそうです。
もっとも奉行所には看板はなくても玄関に鉄砲と胴乱という弾丸の入れ物が飾ってありました。
庶民のヒーロー遠山の金さん
金さんが民衆のヒーローとなった陰には同時代に人々から嫌われた鳥居耀蔵の存在がありました。市民を厳しく取り締まった鳥居は「妖怪」、「マムシの耀蔵」とあだ名され、金さん=善玉、鳥居=悪玉という図式ができあがりました。また天保の改革を推し進め庶民の贅沢を禁止した水野忠邦とも対立し、金さんは庶民のヒーローとして歌舞伎にも取り上げられるようになりました。
実際の金さんはドラマのような名裁きをしたという記録は残っていません。ですが将軍の前で裁きを行う公事上聴が行われた際に、その手腕を家慶から賞賛されたそうです。