旧岩崎邸庭園は三菱財閥岩崎家の邸宅を庭園として整備したものです。現在まで往時の面影を残す貴重な建造物は国の重要文化財にも指定されています。
邸宅の建つ敷地は江戸時代は越後高田藩榊原家の中屋敷でしたが、明治になり紆余曲折を経て岩崎家の本邸となりました。岩崎家といえば三菱財閥を創業した岩崎彌太郎がまず頭に浮かびますが、現在残っている建物は彌太郎の長男で三菱財閥3代目社長久彌氏の本邸として1896年(明治29年)に竣工しました。
旧岩崎邸庭園のアクセス
旧岩崎邸庭園は上野不忍池、東京大学、湯島天神に囲まれた位置にあります。こう書くと土地勘のない方は周辺は落ち着いた雰囲気かと思うかもしれませんが、実際は喧騒的な繁華街です。庭園が位置する場所は大通り沿いでもなく、道も曲がりくねっているので初めての場合はちょっとわかりにくいかもしれません。
最寄りの駅は東京メトロ千代田線湯島駅ですが、銀座線上野広小路駅や都営地下鉄大江戸線上野御徒町駅からも徒歩圏内です。因みに駐車場はありません。
旧岩崎邸庭園を見学
入り口に案内があります。開園は午前9時から午後5時で休館日は年末年始。入園料は一般が400円、65歳以上は200円。正門から馬車道のゆるやかな坂を登っていきます。
洋館の正面は馬車回しになっています。この建物はイギリス人建築家のジョサイア・コンドルによって設計されました。コンドルは日本人の妻を持ち鹿鳴館やニコライ堂の設計にも携わりました。
玄関を入ると暖炉がありました。ここだけではなく洋館ではほとんどの部屋に暖炉が備え付けてありました。
建物の中心に位置するホール。
1階の中央南部分にある大食堂。壁や床は食欲を促すためでしょうか赤を基調としています。
大食堂の隣にある客室。食後はこの部屋に移動してゲストをもてなしていたそうです。
夫人客室には当時使っていたバカラ製のグラス類が展示されていました。どれも薄く繊細でちょっとした衝撃で割れそうな感じ。
天井はシルクの日本刺繍が施された豪華なつくり。
1階の東側には細長いサンルームがあります。まさか洗濯物を干すためではないとは思いますが。真夏は暑そうです。この部屋は1910年ごろに増築されました。窓の向こう側に見えるのは撞球場。
穏やかな表情の岩崎久彌氏。実際に真面目で温厚な性格だったとか。激情型であった父の彌太郎は50歳と短命でしたが久彌は90歳の天寿を全うしました。
久彌の家族写真。左から3人目は久彌の母であり彌太郎の妻である喜勢。
久彌氏の書斎で使用していたキャビネット。中の本は比較的新しかったです。
館内の至る所にスチーム暖房機が備え付けてありました。各部屋に暖炉もあるのにどれだけ寒がりなんでしょうか。
撞球場へ続く地下トンネルの入り口。ここが一番見学したかったが一般公開はしていないエリア。入りたい人多いと思うのですが。
地下部分は地下道以外にもボイラー室、調理室、倉庫、使用人用の水洗トイレがあったそう。
2階へ上る大階段。
2階にも夫人客室があります。位置は1階の夫人客室の真上にあたります。使い分けてたのでしょうか。
1階の夫人客室とは壁や天井の色合いがだいぶ違います。ピンクを基調としたイスラム風のデザイン。1階の夫人客室と比べていかにも女性の部屋といった印象です。
夫人客室の南側にある客室。
2階客室の壁は金唐革紙を用いた贅沢なつくり。
2階の南中央部分は集会室になっています。来客があった際の談話室として使われたそうです。
集会室からベランダに出られます。かつては正面に見える団地あたりまで岩崎邸の敷地でした。セレブ感満載の岩崎邸と団地のコントラストが何とも言えない。
洋館と和館は繋がっています。
かつての岩崎邸の全容。和館は大半が取り壊され、残念ながら残っているのはごく一部です。和館は洋館と比べてかなり広大だったことがこの図からわかります。現在の敷地はかつての約三分の一になっています。
2階の客用水洗トイレ。イギリスのドルトン社製。奥は個室で洋式。
トイレ内の洗面台。もちろん展示用で利用することはできません。
1階に戻り渡り廊下を伝って和館に移動します。洋館は主に来客時に使用していたのに対し、和館は普段の居住スペースでした。冬は暖房設備の充実している洋館の方が暖かく過ごせそうですが。馴染みのあるつくりの和館のほうが生活しやすかったのでしょう。
和館に移動してまず目に飛び込んでくるのが喫茶メニュー。次之間と三之間が喫茶スペースになっていました。
大広間。床の間の壁には日本画家の橋本雅邦による富士山がうっすらと残っていました。
大広間の隅には違い棚。
縁側には大きな沓脱石。20人分くらいの靴が置けそうなサイズ。
和館の大部分が取り壊されてしまったのは残念です。
洋館の2階の南側はバルコニーになっています。洋館の外見的特徴でもある柱の様式は1階がトスカナ式、2階がイオニア式だそうです。といっても特徴がわからない。
庭園から見た岩崎邸。後ろに東大病院が見えます。
洋館を東側から見たところ。1階部分はサンルームです。
洋館の東側にあるスイス・コテージ・スタイルと呼ばれた撞球場(ビリヤード場)。こちらもジョサイア・コンドルによる設計。
撞球場の中の様子。ビリヤード台はありませんでした。
洋館から続く通路の撞球場側の階段。
是非地下道の通路も公開してほしいものである。